7月30日…息子がアメリカに旅立ちました✈✈✈ 今日は、TAC✩FIGHTERの”息子”(私の息子)について書きたいと思います。2025年1月14日息子の運命を大きく変えたトライアウト⚽アメリカサッカー留学の選考テストを受けました。 父も挑戦したアメリカ!!父の背中を追って???そんな事はありません。目標を見失った彼に、私が言った一言…「アメリカ留学しない?」と…その一言から、彼の人生が変わりました。 第一章 14番の父 F-14、TOPGUN、アメフト。与えられた番号を、自分の証に変えた男。私は高校からアメリカンフットボールを36歳まで日本の第一線でPlayしてました。きっかけは、TVで見たアメリカ、プロ強豪チームのスーパープレイ。そして、今は亡き兄の親友の影響でした。サッカーをやってた私…市内で一番弱い、ヤンキー中学。兄と親友も入れ替わりだが、サッカー部。その親友が高校からアメリカンフットボールを行い、彼に言われた一言…「弟、アメフトやれば大学行けるぞ!」の一言。私は中学2年だった。バブルの絶頂期、TVでハイライトや有名プレイヤーのCMでなんとなく知っていた。興味を持ち、中学2年の冬には、「高校でアメフトやろうかな?」と思ってました。その影響から、満を持して高校入学。自らアメリカンフットボール部へ入部届を提出!そこで、貰った番号が「14番」だ。その14番を貰った瞬間…「俺、TOPGUNじゃん!」私の下の名前のイニシャル「F」、そしてTOPGUNの戦闘機「F-14」そうだ、「TOMCAT」だ。何より、アメフトのスコアは「TOUCHDOWN」飛行機の着陸も「TOUCHDOWN」だ!!14番の父!アメリカンフットボール引退後は息子の通うサッカーチームの社会人リーグへ所属。そこも含め、私は長い間14番を背負っていました。 第二章 サッカー好き 評価されない時間を越えて、少年が守り続けたもの。 息子は私とは違い、苦しい時間が長い。中学、高校と二軍(Bチーム)。一軍の試合には、ほとんど出た事がない。サッカー(イングランド式蹴球)は交代が少ない(プロは5名)。一報、私の行っていた、アメリカンフットボール(米式蹴球)は「交代自由」。試合に出れるチャンスが多いのは、あきらかにアメリカンフットボールだ。単純には言えないが…・指導者に好かれなかった・戦術に合わない・技術が足りないこれが主な原因だろう。中学時代は近所のサッカー場でクラブチームで活動。高校は石川県の高校で寮生活。中学時代は、一度もクラブをサボらなかった。高校は、寮生活だからサボるにサボれない環境だったろう。サッカーが嫌になった事はないのか?を高校卒業時に聞いたら、「サッカーが大好き!」と答えた息子。中学、高校で花は開かなかった。15歳で寮生活、娯楽がほぼない場所、3年間補欠、陽は彼に当たらなかった。私とは正反対、ずっと主力として、アメフトをやってきた。キャプテンという仕事もかなりの年月やってきた。チームを動かす存在だっ私は、正直息子がじれったかった。。。なぜ?どうして?コーチと対話してるか?と。でも、私は救われた…「サッカーが大好き」という言葉に。。。 第三章 目標を失った少年 「サッカーはもうやらない」――涙の向こう側にあった葛藤。石川県の高校で寮生活をしていた息子。2024年1月1日の地震…。彼は運よく帰省していた。。。あの映像を見た時、息子に、「もう、学校に帰れないかもしれない…」と話したのを覚えてます。5月上旬まで自宅でオンライン授業、中旬から東京都青梅市に学校移転。なんと、車で一時間の所で授業が再開しました。仲間がほぼ、寮生活の為、通えた息子も寮生活へ。高校2年の秋。練習が休みで、皆は下北沢や渋谷へ遊びに行く中、息子は実家に帰ってきました。そこで、涙が…高校入学を前にTOPGUN...